The memory of the late friend① [Members BBS(メンバーの自由記事)]
お盆も過ぎましたね。ほんとはお盆の頃に書きたかった話なんですが…、今になって書こうとしてる。
どっかのブログでオレが書いてた↑上タイトルを使わせていただいて、今回はこっち(DMCのブログ)に書いてみようかなって思います。
で、お盆の時に、お盆だから…てなことでもあり、“亡き友人”の墓参りに行ってきた。
オレは宗教的なことはあまりね…信仰してないんで(←でも墓参り行くんかい)、オレの勝手な思いで“友人”へのお供え物は決まって“酒”としている。だって、単純に生前、“彼”は酒が好きだったから、ま、オレも好きだし、一緒に飲みたいから…なんてことであります。
今年もその日行った時もさ、先に来た友人の誰か?家族?か分かんないけどビールが供えられてた(涙)。ちなみにスーパードライだった(笑)。ま、それはいんだけど。
オレも持っていくのはビールを定番にしてるんだけど、あれば“新しいビール”を買って行くことが多い。いつも墓に行く前にコンビニなんかに寄っていくんだけど。「お、こんなの(新しく)出たんだ」てなものがちょうどあるとそれを買っていく。それに深い意味はなく…。「お」って思うからだた買っていってただけなんだけどね。
でも…、そういうのを買って供える時、故人を思う気持ちがあるからね「こんなの(新しいの)出たんだぜ」的に報告的なことは墓前で思ったりする…。だって、“彼”の時間はさ…、亡くなった時から止まってるじゃない…って思うからだ。
…いや、もしも霊魂や幽霊?的なものが在って…、そうやって“彼”が現代をも見てることができるんなら別だけど…ね。でも、現実は…、そのなもの“ない”でしょうし…。
…ま、でもどっちにしてもね。あえて感傷的な気持ちは置いといて、現実的なこといえば…
墓に酒を持って行ったってさ、“彼”はそこにいないし、“彼”は飲めない…。一緒に飲もうなんてことはできるはずもなく…。そこで飲めるは生きたヒトだけ… つまりオレ…ってことに…なるよね。
そういう時、こう思うんだ。もちろん“新しいビール”の話はちっちゃな話だけど、…こんな例え話として話したいがためのエピソードだったんだけどね。で、何を云わんとせんかというのは… “生きてればこそ”って事ってあると思うんだよなぁ…って。
生きてればこそさ…、そうして新しい発見や未知の出会いっていうのかな…、そうした事ってあると思うんですよ。生きてるうちは、そうした可能性的なものって無限なんだよなぁ… なんて思ったりして。
誰かが言う「生きてりゃいいことあるさ」てなことまでは、オレはおこがましいんで言わないけど…。実際、辛いこともたくさんあるしね…生きてれば…。 ま、でも「生きてなけりゃ“もったいない”」てなくらいは…言えるんじゃないかなぁと。
だから、「生きてればこそ」在る事を大切に…、それを希望に…、オレ達は生きなぁにゃー と思うんですよね。
さて-
これは、もちろん…“亡き友人”に対する否定でも何でもないです。クサいこと言うと、そこに友情がありますからね、この話は。
…これは、いつも“彼”の話をするときの同じ締めになるけど。ま、さっき言った霊魂や幽霊なんてものは無きにしても…、 自分(オレ)の心ん中にはいるんですよね、“彼”は。自分を形成する一部となっているんです。
だから、“彼”の死を通して、自分が感じた事は、こうして記録したり、人に伝えていきたいんです。それが…、“彼”の存在がこの世から消えていない…、自分の中に“彼”が生きている…っていう“証し”だと、オレは思っているからです。
どっかのブログでオレが書いてた↑上タイトルを使わせていただいて、今回はこっち(DMCのブログ)に書いてみようかなって思います。
で、お盆の時に、お盆だから…てなことでもあり、“亡き友人”の墓参りに行ってきた。
オレは宗教的なことはあまりね…信仰してないんで(←でも墓参り行くんかい)、オレの勝手な思いで“友人”へのお供え物は決まって“酒”としている。だって、単純に生前、“彼”は酒が好きだったから、ま、オレも好きだし、一緒に飲みたいから…なんてことであります。
今年もその日行った時もさ、先に来た友人の誰か?家族?か分かんないけどビールが供えられてた(涙)。ちなみにスーパードライだった(笑)。ま、それはいんだけど。
オレも持っていくのはビールを定番にしてるんだけど、あれば“新しいビール”を買って行くことが多い。いつも墓に行く前にコンビニなんかに寄っていくんだけど。「お、こんなの(新しく)出たんだ」てなものがちょうどあるとそれを買っていく。それに深い意味はなく…。「お」って思うからだた買っていってただけなんだけどね。
でも…、そういうのを買って供える時、故人を思う気持ちがあるからね「こんなの(新しいの)出たんだぜ」的に報告的なことは墓前で思ったりする…。だって、“彼”の時間はさ…、亡くなった時から止まってるじゃない…って思うからだ。
…いや、もしも霊魂や幽霊?的なものが在って…、そうやって“彼”が現代をも見てることができるんなら別だけど…ね。でも、現実は…、そのなもの“ない”でしょうし…。
…ま、でもどっちにしてもね。あえて感傷的な気持ちは置いといて、現実的なこといえば…
墓に酒を持って行ったってさ、“彼”はそこにいないし、“彼”は飲めない…。一緒に飲もうなんてことはできるはずもなく…。そこで飲めるは生きたヒトだけ… つまりオレ…ってことに…なるよね。
そういう時、こう思うんだ。もちろん“新しいビール”の話はちっちゃな話だけど、…こんな例え話として話したいがためのエピソードだったんだけどね。で、何を云わんとせんかというのは… “生きてればこそ”って事ってあると思うんだよなぁ…って。
生きてればこそさ…、そうして新しい発見や未知の出会いっていうのかな…、そうした事ってあると思うんですよ。生きてるうちは、そうした可能性的なものって無限なんだよなぁ… なんて思ったりして。
誰かが言う「生きてりゃいいことあるさ」てなことまでは、オレはおこがましいんで言わないけど…。実際、辛いこともたくさんあるしね…生きてれば…。 ま、でも「生きてなけりゃ“もったいない”」てなくらいは…言えるんじゃないかなぁと。
だから、「生きてればこそ」在る事を大切に…、それを希望に…、オレ達は生きなぁにゃー と思うんですよね。
さて-
これは、もちろん…“亡き友人”に対する否定でも何でもないです。クサいこと言うと、そこに友情がありますからね、この話は。
…これは、いつも“彼”の話をするときの同じ締めになるけど。ま、さっき言った霊魂や幽霊なんてものは無きにしても…、 自分(オレ)の心ん中にはいるんですよね、“彼”は。自分を形成する一部となっているんです。
だから、“彼”の死を通して、自分が感じた事は、こうして記録したり、人に伝えていきたいんです。それが…、“彼”の存在がこの世から消えていない…、自分の中に“彼”が生きている…っていう“証し”だと、オレは思っているからです。
posted by シンディ at 2011-08-26 12:52
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